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HP/BRGについて

現在、公開しているアンデスの風のHP・BRGが近々活性化し躍動感のある魅力的なホームページに変わっていきます。ほとんどの頁を一新して、アンデスの風、インカニャンのタイムリーな情報提供と皆さんとの情報の共有化、皆さんのアンデスの風とインカニャンに対するご意見等を遠慮なく投稿して頂ける情報サイトを多様化したいと思っています。
楽しみにしてお待ちください。
by yamasaki0903 | 2019-11-06 22:08 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

広島県呉市安浦町の皆さんへ お見舞い申し上げます。

この度の豪雨により広島県、岡山県、愛媛県においては、特に大きな災害が発生し、多くの人命が失われ、いまだに行方不明の方も沢山おられます。また、国道、生活道路などが寸断されて生活物資が届かなかったり上水道が破壊され生活水にも困っているとの情報です。
このような中で数年前、インカニャン・コンサートでお世話になった呉市安浦町も甚大な被害を受けています。
コンサートの時は、町の公民館に満席になる町民の皆さんに来ていただきました。その皆さんがこの度の豪雨で被害に遭われ、いまだ以って生活に支障をきたしている状況にあると聞き言葉がありません。
どうか持ち前の我慢強さ忍耐力で乗り切ってください。アンデスの風にできることがありましたらお知らせください。
アンデスの風 代表 山崎和幸  
by yamasaki0903 | 2018-07-13 16:28 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

インカ帝国について その③

南北アメリカがヨーロッパ人によって発見され、その後、植民地化して行く過程において南米大陸で栄華を極めていたインカ帝国が、ヨーロッパの冒険家たちに発見され大きな衝突が起きるのは歴史の流れにおいて必然の事であった。
アメリカ大陸に到達したヨーロッパ人、特にイベリア半島の国、ポルトガル人とスペイン人は南アメリカ大陸へと侵攻して行くのであるが、何故、新大陸の発見に繫がったのかを、もう一度ハッキリと押さえておいた方が理解しやすいし、関連付けた歴史の流れの中で南米を理解することが出来ると思います。
南米大陸でインカ帝国が起こりその力を拡大していく11.12世紀から16世紀にかけてのヨーロッパの動きはどうだったのであろうか?
まず、【十字軍】について簡単に触れてみたいと思います。ラテン語でCRUSIATAと言う言葉を十字軍と訳しています。これは中世ヨーロッパにおいてカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍の事を言います。
11世紀の終わりころ東ローマ帝国はトルコ人(イスラム教徒)のセルジューク朝の圧迫に苦しんでおり、何とか解放されたいとイスラム教徒支配下の都市を攻略しながら聖都エルサレムを目指していた。この戦いで活躍するのが十字軍と呼ばれたキリスト教徒だった。
キリスト教徒とイスラム教徒の遺恨、戦いは現在の社会においても続いている事は皆さんもご承知の通りです。
十字軍の台頭によりギリシャ、ローマの各都市はキリスト教による支配が続くことになり、神を絶対視し人間を罪深いものとするローマ教皇の思想が重んじられることになる。
しかし、14世紀から16世紀にかけて絶対的な神の抑圧から豊かな人間性に満ちた人間中心主義の文化を復活させようと動きがイタリアを中心に起こり、ヨーロッパ各地に広がっていく。中世ヨーロッパの教会を中心とした思想からギリシャ、ローマの古典文化を復興させようと言う精神的文化が起こってくる。これがルネサンス【文芸復興】と呼ばれ、文芸のみならず、神の教えに対する疑問や反発が様々な分野で生まれてくる。
世界の動きは全てギリシャ、ローマを中心として動いているという考えが絶対であった。
ポーランド人コペルニクスの名前を知る人は多いと思います。天体観測に基づいてそれまでの宇宙の動きが地球中心に回っている(天動説)ではなく、地球は自らも回りながら(自転)太陽の周りを年に1度の周期で回転している衛星の一つである(地動説)を唱えるのです。
既に15世紀半ばから始まっていたヨーロッパ人によるアフリカ、アジアへの大規模な航海は多くのヨーロッパ人の夢を掻き立てるには十分な新天地であった。彼らの目的は金、銀、コショウなどの香料、染料を略奪するのが目的であったが、表向きにはキリスト教の布教を謳っていた。ポルトガル人で航海者であり探検家のバスコ・ダ・ガマが15世紀中ごろにアフリカの西側を経由して南端に至り喜望峰を経てインドのカルカッタに至る航路を発見するのもその中の一つである。ヨーロッパ人を新天地に駆り立てる考えはどのような知識、考えによるところだったのだろうか? それは、イタリア人で当時ベネチアの商人であったMarco・polo が数回に亘り、中央アジア、中国への旅の中で様々な見聞した事をまとめた「東方見聞録」であり、その中で東洋の東の端にあるジパングと呼ばれる島(ニッポン)が、黄金の屋根葺きで覆われ壁や全ての建物が黄金で輝いている国であるとの記述をしたことが、後々、大航海時代の野望も持った荒くれ者の探検家たちを駆り立ててジバングへと向かわせるのである。
アメリカ大陸を発見したとして歴史上の人物になったコロンブスが、現在の中米カリブ海の、ある島を発見したのが西暦1492年であった。この発見は従来ヨーロッパ人の航海者たちは、全て西アフリカを経由して南端の喜望峰を超えインド洋に入り東へと向かうのが一般的であったが、地動説が唱えられるようになると、東へ向かっても西に向かってもインドやそれ以東の東南アジア、そしてジパング(ニッポン)へ到達することができると思い、大西洋を西に向かって航海をするものが多くなっていた。未知の世界へ航海する時の指針になるものは昔から星の動きと位置関係で航海をしていたが、このころになって画期的な航海術の「羅針盤」が発明されたことも大きく影響をしている。コロンブスのアメリカ大陸発見以降1500年代の初めからスペイン人、ポルトガル人を乗せた帆船が頻繁にアメリカ大陸を目指して航海を行い、そのうちにスペインの根拠地がカリブ海沿岸、パナマ近郊に沢山出来ることになる。
航海で渡ってきた荒くれ者たちは、ほとんどがスペインやポルトガルの王室と関係のある正規軍ではなく、一攫千金目的の欲望の塊の人間たちで、これらの者たちを集めた私兵の連中であった。新大陸に到達した私兵たちは、金銀財宝の略奪を行って行くのであるが、彼らの事を総まとめにして征服者(コンキスタドール)と呼ばれるようになった。
1500年以降、中南米では多くの略奪、殺戮が行われていくのであるが、この時期の南米大陸でもっとも広大に繁栄していたインカ帝国の状況はどうであったのかについて、次回から南米アンデスに話を戻していきたいと思います。
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by yamasaki0903 | 2018-03-04 17:15 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

インカ帝国の皇帝について  その②

インカ帝国の皇帝について  その②_b0076801_17163295.jpg
インカ帝国8代目皇帝⦅ビラコチャ⦆の跡を継いだ第9代目皇帝「パチャクチ」(地震のように大改革を行う賢いインカと言う意味)は、インカ帝国の礎を確立した父よりも有能で帝国主義に燃えた意欲を持っていた。
パチャクチは即位すると同時に荒廃しかかっていた都のクスコを徹底的に再建する仕事に取り掛かった。
先ず着手したことはインカ帝国始祖と言われるマンコ・カパックが最初に宮殿を立てたと言われる黄金の囲い(コリカンチャ)に太陽の神殿を建てた。そして、そこに7代に亘る祖先のミイラを安置して、最高の僧侶に守護を命じたのであった。
パチャクチは近隣の集団をインカの基に置くために、インカの住民の力を組織しようと試みた。しかし、この試みは住民には理解されず、しばしば攻撃されることになる。それでもパチャクチの軍隊はクスコから遠く離れた敵と戦って勝利をおさめ自信を持つようになる。打ち負かした仇敵に対しては彼は決して寛大ではなかった。子供や老女を除いて全部族の住民を殺したとクロニスタは記述している。
戦いを続けながらパチャクチの目は、クスコ周辺から遥か北方に向けられていた。幾多の争いに勝利しながらインカ帝国はその支配地域を広げて行くのである。現在のペルーの北隣の国エクアドルの首都が置かれているキトーの征服を試みるのだが、キトー人は誇り高き人たちであったために、長い激しい戦いが続くことになった。キトー陥落後に残った国は最も古い強大な国を築き上げたチムー帝国であった。しかし長く続いて繁栄を極めていたチムー帝国も平和慣れして頽廃期にあったために、勢いを増し領土を拡張し続けていたインカの前には歯が立たなかった。戦は長引かなかった。チムーの皇帝は死守つもりでいたが重臣たちは望みがない事を察して皇帝と共にインカの軍門に下りチムー帝国は崩壊することになる。
北部のエクアドルに栄えたチムー帝国を滅ぼした後は、インカの軍勢の主体は南のナスカとその南方に向けられることになる。
ナスカ近郊の部族も征服してパチャクチの北方と南方に亘るインカ帝国の拡張は一通り確立される。
戦果に明け暮れたパチャクチも33年の間皇帝にとどまり、もはや年老いてしまった。
1471年皇帝の座を息子の「トパ・インカ」に譲ることになる。そして数年後パチャクチは死んでいくのであるが、33年の在位期間にインカ帝国の支配地域(面積)は何と約1000倍に拡張していた。
10代目皇帝⦅トパ・インカ⦆そして11代目皇帝『ワイナ・カパック』と拡大したインカ帝国は、南米で最も広大な面積と強力な軍隊を持った帝国主義的独裁国家として君臨をしていく。そして、時はすでに16世紀へと流れていた。15世紀の終わりの頃1492年、大航海時代、大西洋を西に向かって航海していた一艘のポルトガル船が、カリブ海沿岸のある島にたどり着くのであるが、乗組員全ての者はそこが新天地の南北アメリカ大陸に続く島であることを誰しもが知らなかった。
次回は新大陸発見につながる大航海時代に至るまでのヨーロッパの歴史について少しばかり触れてみたいと思います。
by yamasaki0903 | 2018-03-01 18:06 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

インカ帝国の皇帝について   その①

これまで演奏グループ「インカニャン」のグループ名の由来について説明をしましたが、今日からの2.3ページに亘っては、南米で最も栄えたインカ帝国の皇帝について書いてみたいと思います。
特にインカ帝国を強力にそして広域にわたって勢力を拡張した8代目皇帝《アツン・ツパック・インカ(ビラコチャ)』から11代皇帝『ワイナ・カパック』までの4世代に亘る皇帝について主に記してみましょう。8代目の皇帝《アツン・ツパック・インカ(色白く高貴なインカと言う意味)》は7代目皇帝⦅ヤワル・ワカ⦆の息子の中から選ばれました。
8代目皇帝は後にビラコチャ(創造の神)と言う称号でよばれ、インカ歴代の皇帝の中で最も優れた皇帝の一人であったと言われています。ビラコチャは、インカ帝国で最初の帝国主義者で、言い返れば、インカ以外の土地と人民を恒久的に支配する計画を立てた皇帝であった。ビラコチャが絶対主義の社会構造を確立できた背景には、身内に経験深く有能な参謀を置き適材適所に配置して組織的な征服を図ったことによるところが非常に大きかった。
年代記録者(クロニスタ)の記録によれば、このころのクスコを中心とした諸部族の分布や生活の様子がいくらかわかってくる。経済的、文化的にも帝国主義的な基盤がアンデスの高原地帯に出来上がりつつあった。
それでも、インカと同様に発展を遂げた部族が3,4の集団としてクスコの近隣にも存在していた。
そして、時々インカに対して戦を仕掛けて攻め込んでくるのだが、その都度激しい攻防戦が繰り広げられて
結果としてインカの軍門に下りそれらの部族は消滅してしまうのです。。
このころの戦の方法やどんな武器が使われたのかは私も非常に関心があり、いろんな書物をあさってみると、両軍が100m以内で対峙して、武器は石投げが殆んどであったみたいだ。素手で石を投げあう事もあったようだが、当時の唯一の武器である「オンダ」と呼ばれる投石ロープの先に石を入れる半袋がついており、ロープをぐるぐる回して勢いをつけてタイミングよく袋の中の石を相手の陣地まで飛ばすという戦い方であった。この戦い方がインカ時代まで続いた背景には、南米で起こった文明の中で「鉄」の精錬、製造が一切なされなかったことが要因としてあるみたいです。
鉄でできた武器はスペイン人、ポルトガル人が南米大陸に侵攻するようになってからになります。
8代目皇帝ビラコチャが帝国主義の国家を確立したものの在位期間はそれほど長くなかった。そしてその在位期間が終わりに近づいたころ彼よりももっと有能で帝国主義的意欲に燃えた息子の「パチャクチ」が現れて来るのです。次回はインカ帝国を広大に拡張して行った9代目インカ皇帝「パチャクチ」について触れます。
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by yamasaki0903 | 2018-02-28 11:47 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

「INKANAN」の名前の由来 その③

インカの第一代皇帝【マンコ・カパック】についてのもう一つの伝説について書きます。
現在の南米アンデスの中央部、ペルー共和国の南部でボリビア共和国との国境にもなっていて日本の琵琶湖の12倍の広さを持つ「チチカカ湖」の名前は皆さんもご存じだと思います。標高3800mの高地にあるチチカカ湖にある(太陽の島)でマンコ・カパックとその姉妹が太陽の神によって誕生したという伝説があります。当時先住民族のインディオ達は野蛮な生活をしていたので、太陽の神は彼らに人間の生活の仕方を教えるように命じました。マンコ・カパックは姉妹を伴って太陽の神の教えに従い、黄金の杖を持って北へ向かって旅に出ました。何日も何日もつらくて厳しい毎日の旅でした。ところがクスコの谷に入って、黄金の杖を地面に投げると、杖は見る見るうちに地中へ沈んでしまったのです。
太陽の神が言った「豊かな土地、都を創るべき土地」に来たのだと彼らは思ったのです。
マンコ・カパックたちは先ず仮の住居を作り、住民に農業を教え、姉妹たちは織物を教え、そして、この地に人間らしい生活が始まることになったのでした。
地球上における文明の発生時についてはすべてそうであるように初代の権力者(部族長、王、皇帝)と言われる人の存在は決まって漠然としたものがあり諸説が入り乱れてハッキリしない場合が多々あります。インカ帝国の初代皇帝と言われる【マンコ・カパック】の存在も真に他の文明の始祖たちと同じように漠然としています。
したがって、存在したのかどうかの物証(ミイラなど)が発見されていない以上は架空の人物(伝説の人)だったとして見るのが妥当だと思われます。
しかし、長いインカ帝国の歴史の中で、言い伝えの人物として初代皇帝【マンコ・カパック】の名前はアンデスの住民(インディオ)の間で受け伝えられてきた初代皇帝であり初期の頃に作られていった公道が「インカニャン」ではなく「カパックニャン」と呼ばれていたのは年代記録者(クロニスタ)によって幾つも記述されています。
「インカニャン」の当初の頃の呼び名は「カパックニャン」だったようなので、皆さんも今年からインカニャンをカパックニャンと親しみを込めて呼んでみられてはいかがでしょか。
インカ文明は初代の皇帝【マンコ・カパック】から始まり13代皇帝《アタワルパ》まで続きました。
2代目の皇帝から11代目の皇帝までの歴史はとても面白いものがあります。特にインカ帝国を強力にして、そして拡大して行ったのは、第8代皇帝《アツン・ツパック・インカ》の時代からだと言われています。
次回の記述はインカの8代以降の皇帝について触れてみたいと思います。
「INKANAN」の名前の由来 その③_b0076801_21382611.jpg

by yamasaki0903 | 2018-02-27 21:38 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

インカニャンの名前の由来 その②

アンデスの長い歴史の最後に、南米大陸で最大、最強の文明を築き上げたインカ帝国が現れます。インカ帝国の始まりは意外と新しく西暦1200年ころだと推定されています。
残念ながらインカの人たちは最後まで文字を持たなかったために民族の歴史を再構成するには非常に難しいのです。インカ帝国についてある程度確かな歴史記述はスペイン人が南米大陸に進行して行った1520年以降になります。それはスペイン人の中で「クロニスタ」と呼ばれる年代記録者による文字による記録が残っているからです。クロニスタにはいろんな経歴の人がいたようですが、その中にはカソリックの神父、スペイン人の軍人、又はスペイン人とインカの貴族との間に生まれた混血児(メスティーソ)などがいました。
彼らは布教活動をしながら先住民の言い伝えや遺跡からの発掘に基づいた記述を記したり
インカの生活習慣などを記述しています。
このような限られた記述の中で最も関心か高いのはインカの時の皇帝に関することです。
インカの皇帝に触れずしてインカ帝国を話すことは無意味なことです。
インカ帝国の始まりは冒頭に西暦1200年頃であろうと書きました。日本の歴史で言うと鎌倉幕府か開かれて(1192年)、幕府の体制が整い安定してきた頃でしょうか。
インカ帝国の初代皇帝の名前は【マンコ・カパック】と言う人です。マンコ・カパックとはインカ帝国の公用語として使われたケチュア語で「最高にして権力を持った族長」と言う意味があります。インカ帝国の皇帝は初代のマンコ・カパックから13代『アタワルパ』までですが、スペイン人がアンデスに侵攻した時にインカ帝国の都だったクスコには
二代目の皇帝「シンチ・ロカ」から十一代の皇帝『ワイナ・カパック』までの皇帝のミイラが保存されていただけで、初代皇帝である【マンコ・カパック】のミイラはついに発見されませんでした。
はたしてインカ帝国の初代【マンコ・カパック】は実際に存在した皇帝なのかどうか?
インカ帝国の初代【マンコ・カパック】については二つの伝説が残っています。

その一つ、クスコから東南に向かって28キロほど離れた所に、パカリ・タンプ(下の宿場)と言う場所があって、そこにはタンプ・トヨ(窓の宿場)と言われる3つの穴が地面にあいている処があり、その中央の美しい穴からインカ帝国の創始者たちが沸き上がったそうです。中央の穴から現れた者がマンコ・カパックと3人の兄弟だった。マンコ・カパックは同じ穴から湧き出した10名の士族を引き従えてクスコの河谷に向かいます。
旅は数年かかり途中、村々に1,2年とどまり二代目の皇帝シンチ・ロカがマンコ・カパックの一番年上の妹ママ・オクヨの間に生まれます。
マンコ・カパック一族はクスコの河谷を歩き、黄金の杖で土地を試してみると、現在クスコの少々東の方が肥沃であることを知り、そこに腰を落ち着けることにしました。
しかし、当時谷間にはすでに多くの住民たちがいましたが、インカは太陽によって選ばれた民であり、トウモロコシと動物のリャマの為に土地が欲しかったので、先に住んでいた住民や部族から何度となく攻撃を受けたが、その都度、投石器で人を殺し怪我を負わせたりしたので、周囲の住民たちは恐れをなして逃げてしまった。そこでマンコ・カパックと士族たちは黄金の囲い(コリカンチャ)に、最初の宮殿を建てることにしました。
後々「太陽の神殿(コリカンチャ)」がそこに建てられた。今でもクスコとマチュピチュには同じ囲いを持つコリカンチャのアドべ(日干し煉瓦)を円錐状に積み重ねた遺稿が残っており見ることが出来ます。
もう一つのマンコ・カパック伝説については次回(数日後)に書きます。
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by yamasaki0903 | 2018-02-27 11:08 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

①演奏グループ「インカニャン」の名前の由来について

現在日本に招聘している演奏グループは、ご存じ『INKANAN(インカニャン)』です。
以前から「インカニャン」とはどういう意味なんですか?との質問(問いかけ)に接することが多く、その都度次のような説明をしています。「インカ帝国を創りあげた(ケチュア族の言葉)で【インカ道】と言う意味から名付けたグループ名です」と。ほとんどの方がこの短い説明で理解をして頂いていますが、本来はもっと深く掘り下げて説明をしなければ本当の意味は理解していただけないだろうと思っています。
そもそも①【インカ】とは何なのか?インカの名前はどこから出てきた言葉なのか? 
②「ケチュア族」と言う人たちはどのような人たちなのか?
 この二つの言葉だけでも関連する知識を持っていただければ「インカニャン」の意味をより深く理解していただけるのではないかと思います。
私が50年来積み上げてきた知識(文献やアンデスでの聞き取り、会話、体験、実際に見てきた事、経験、そして私なりに感じ取った私見)の範疇で話を進めて行きます。

『INKANAN(インカニャン)』は二つの固有名詞から成り立っています。その一つは「INKA(インカ)」で、もう一つは「NAN(ニャン)」と言う言葉です。
(インカ)とは、この言葉には不思議な魅力があり世界中の人たちから常に関心を持たれる言葉だけに様々な意味が含まれています。もともとは現在のアンデス山中標高3300mの高地にあるCUSCO(クスコ)に住んでいた小さな部族の中の一つの名称で、この部族が幾たびの争いによって領土を広げて行き、後に南米で最も強大な帝国へと建設されていきます。領土を拡大していく過程でインカと同じ言語を使っていた他の部族の人たちもすべて含めて「インカ」と呼ぶようになっていきます。
ところが1520年代になってスペイン人が侵攻して来ると「インカ」の意味をさらに拡大して帝国そのものをインカと呼ぶようになったり、又はスペイン的でないものすべてを「インカ」と呼ぶようになり区別化、差別化をして行くのです。(ヨーロッパの古い慣習ではよくある事)
ただし、かってクスコの小さな部族の中の一つに過ぎなかったころに使っていたインカの言葉は、インカ帝国として強大になった15,16世紀に公用語として使われるようになったインカ語とはいくらか違った言葉になっていました。小さなインカ族が暮らしていたクスコの古い地名は拡大したインカ帝国の言葉(公用語)からは解釈理解することが出来ず、むしろチチカカ湖以南、ボリビアに多く住む先住民のアイマラ族の話す言葉(アイマラ語)に近いと言われています。
因みにアイマラ族と対比されるケチュア族の話す言葉(ケチュア語)は、インカ帝国の拡大に伴い、その地域に住む先住民が話していた言葉(ケチュア語)が次第に公用語のインカ語として使われるようになっていったと思われます。
クスコの一部族に過ぎなかったインカ族が大帝国を創りあげていく過程で、蜘蛛の巣状に情報の伝達手段として道をたくさん建設していくのですが、この道はあくまでも「公道」としての意味を持っていたために一般の住民たちは使用することを許されていませんでした。インカ帝国の成長(拡大)と共に作り上げて行ったこの公道
が『NAN(ニャン)』と呼ばれる言葉なのです。インカ族がインカ帝国として拡大していくのと同時に公道がたくさん造られていき、いつしか「インカニャン」(インカ道)として重要な意味を持ってくるのです。
しかし、(インカ道)「INKANAN・インカニャン」としての呼び方は、帝国へと成長していく初期の段階では「インカニャン」とは呼ばれていなかったことも解っています。
それでは次回、初期の「インカニャン」はどのように呼ばれていたのかを説明したいと思います。
①演奏グループ「インカニャン」の名前の由来について_b0076801_153332100.jpg

by yamasaki0903 | 2018-02-24 12:10 | HP.ブログの読者のページ | Comments(1)

2018年度「インカニャン・コンサート」を前に

アンデスの風,HP/BRGにいつもアクセス頂き有り難うございます。
まだまだ寒い日が続いていますが皆さん元気でお過ごしでしょうか?
2018年2月の下旬に入り残すところ1週間になってしまいました。西日本では梅の花が大きな蕾から花びらを咲かせる頃になってきました。季節は春に向かって着実に動いています。

アンデスの風では、2018年度も「インカニャン」を引き続き日本に招聘します。現在はそのための事前準備の段階です。
今年のコンサートツアーの傾向としては、大きなコンサートホールでの開催が多くなるようです。
ここ数年は関東地区からコンサートをスタートしていましたが、数年振りに2018年度は九州からコンサートを開始いたします。入国後、約10日間は福岡、佐賀、長崎の北部九州でコンサートを行い、その後、関東甲信越地区へと移動していきます。2カ月後再び九州へ戻り帰国までの約2か月間、九州各県でのコンサート開催の予定です。
今年から、来年へかけてアンデスの風・アンデス支援基金の大きなプロジェクトが控えており多忙な毎日になりそうです。
今年のコンサートでは、会場に来ていただいた皆さんに、南米アンデスの民族音楽をもっと分かりやすく身近にそして思いっきり楽しみ感動してもらうための仕掛け作りを考えています。
また、事前に南米の様々な知識を共有して頂き、インカニャンの音楽を通じて皆さん其々にインカニャンの音楽を聴きながら、アンデスの雄大な自然や、人々の暮らし、文化、歴史に思いをはせて戴こうと思っています。
そのためのアンデスのいろんな情報を次回の記事から提供していきます。
次回1回目の記事の内容は、演奏グループ「インカニャン」の名前の由来に関することから始めたいと思います。お楽しみに。
by yamasaki0903 | 2018-02-24 00:23 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

現在のロゴ画像の動物について

ブログの右上の動物は、一般にアメリカライオンと称される「PUMA(ピューマ)」です。
かっては南米アンデス3000m以上の高地でよく見かけられましたが、独自に進化したアメリカライオンはアフリカのライオンと違って全体的に小柄です。その目づらしさに欧米の開拓者がはく製にして売りさばくために多くのpumaが犠牲になり絶滅の危機に瀕しています。現在ではアンデスの奥地でもほとんど見ることが出来なくなった貴重な写真です。
by yamasaki0903 | 2017-06-17 17:03 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)


アンデスの風より コンサート・国際貢献活動情報をお届けします。


by yamasaki0903

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