2018年 03月 01日 ( 1 )

b0076801_17163295.jpg
インカ帝国8代目皇帝⦅ビラコチャ⦆の跡を継いだ第9代目皇帝「パチャクチ」(地震のように大改革を行う賢いインカと言う意味)は、インカ帝国の礎を確立した父よりも有能で帝国主義に燃えた意欲を持っていた。
パチャクチは即位すると同時に荒廃しかかっていた都のクスコを徹底的に再建する仕事に取り掛かった。
先ず着手したことはインカ帝国始祖と言われるマンコ・カパックが最初に宮殿を立てたと言われる黄金の囲い(コリカンチャ)に太陽の神殿を建てた。そして、そこに7代に亘る祖先のミイラを安置して、最高の僧侶に守護を命じたのであった。
パチャクチは近隣の集団をインカの基に置くために、インカの住民の力を組織しようと試みた。しかし、この試みは住民には理解されず、しばしば攻撃されることになる。それでもパチャクチの軍隊はクスコから遠く離れた敵と戦って勝利をおさめ自信を持つようになる。打ち負かした仇敵に対しては彼は決して寛大ではなかった。子供や老女を除いて全部族の住民を殺したとクロニスタは記述している。
戦いを続けながらパチャクチの目は、クスコ周辺から遥か北方に向けられていた。幾多の争いに勝利しながらインカ帝国はその支配地域を広げて行くのである。現在のペルーの北隣の国エクアドルの首都が置かれているキトーの征服を試みるのだが、キトー人は誇り高き人たちであったために、長い激しい戦いが続くことになった。キトー陥落後に残った国は最も古い強大な国を築き上げたチムー帝国であった。しかし長く続いて繁栄を極めていたチムー帝国も平和慣れして頽廃期にあったために、勢いを増し領土を拡張し続けていたインカの前には歯が立たなかった。戦は長引かなかった。チムーの皇帝は死守つもりでいたが重臣たちは望みがない事を察して皇帝と共にインカの軍門に下りチムー帝国は崩壊することになる。
北部のエクアドルに栄えたチムー帝国を滅ぼした後は、インカの軍勢の主体は南のナスカとその南方に向けられることになる。
ナスカ近郊の部族も征服してパチャクチの北方と南方に亘るインカ帝国の拡張は一通り確立される。
戦果に明け暮れたパチャクチも33年の間皇帝にとどまり、もはや年老いてしまった。
1471年皇帝の座を息子の「トパ・インカ」に譲ることになる。そして数年後パチャクチは死んでいくのであるが、33年の在位期間にインカ帝国の支配地域(面積)は何と約1000倍に拡張していた。
10代目皇帝⦅トパ・インカ⦆そして11代目皇帝『ワイナ・カパック』と拡大したインカ帝国は、南米で最も広大な面積と強力な軍隊を持った帝国主義的独裁国家として君臨をしていく。そして、時はすでに16世紀へと流れていた。15世紀の終わりの頃1492年、大航海時代、大西洋を西に向かって航海していた一艘のポルトガル船が、カリブ海沿岸のある島にたどり着くのであるが、乗組員全ての者はそこが新天地の南北アメリカ大陸に続く島であることを誰しもが知らなかった。
次回は新大陸発見につながる大航海時代に至るまでのヨーロッパの歴史について少しばかり触れてみたいと思います。
[PR]
by yamasaki0903 | 2018-03-01 18:06 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)