「INKANAN」の名前の由来 その③

インカの第一代皇帝【マンコ・カパック】についてのもう一つの伝説について書きます。
現在の南米アンデスの中央部、ペルー共和国の南部でボリビア共和国との国境にもなっていて日本の琵琶湖の12倍の広さを持つ「チチカカ湖」の名前は皆さんもご存じだと思います。標高3800mの高地にあるチチカカ湖にある(太陽の島)でマンコ・カパックとその姉妹が太陽の神によって誕生したという伝説があります。当時先住民族のインディオ達は野蛮な生活をしていたので、太陽の神は彼らに人間の生活の仕方を教えるように命じました。マンコ・カパックは姉妹を伴って太陽の神の教えに従い、黄金の杖を持って北へ向かって旅に出ました。何日も何日もつらくて厳しい毎日の旅でした。ところがクスコの谷に入って、黄金の杖を地面に投げると、杖は見る見るうちに地中へ沈んでしまったのです。
太陽の神が言った「豊かな土地、都を創るべき土地」に来たのだと彼らは思ったのです。
マンコ・カパックたちは先ず仮の住居を作り、住民に農業を教え、姉妹たちは織物を教え、そして、この地に人間らしい生活が始まることになったのでした。
地球上における文明の発生時についてはすべてそうであるように初代の権力者(部族長、王、皇帝)と言われる人の存在は決まって漠然としたものがあり諸説が入り乱れてハッキリしない場合が多々あります。インカ帝国の初代皇帝と言われる【マンコ・カパック】の存在も真に他の文明の始祖たちと同じように漠然としています。
したがって、存在したのかどうかの物証(ミイラなど)が発見されていない以上は架空の人物(伝説の人)だったとして見るのが妥当だと思われます。
しかし、長いインカ帝国の歴史の中で、言い伝えの人物として初代皇帝【マンコ・カパック】の名前はアンデスの住民(インディオ)の間で受け伝えられてきた初代皇帝であり初期の頃に作られていった公道が「インカニャン」ではなく「カパックニャン」と呼ばれていたのは年代記録者(クロニスタ)によって幾つも記述されています。
「インカニャン」の当初の頃の呼び名は「カパックニャン」だったようなので、皆さんも今年からインカニャンをカパックニャンと親しみを込めて呼んでみられてはいかがでしょか。
インカ文明は初代の皇帝【マンコ・カパック】から始まり13代皇帝《アタワルパ》まで続きました。
2代目の皇帝から11代目の皇帝までの歴史はとても面白いものがあります。特にインカ帝国を強力にして、そして拡大して行ったのは、第8代皇帝《アツン・ツパック・インカ》の時代からだと言われています。
次回の記述はインカの8代以降の皇帝について触れてみたいと思います。
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by yamasaki0903 | 2018-02-27 21:38 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)

インカニャンの名前の由来 その②

アンデスの長い歴史の最後に、南米大陸で最大、最強の文明を築き上げたインカ帝国が現れます。インカ帝国の始まりは意外と新しく西暦1200年ころだと推定されています。
残念ながらインカの人たちは最後まで文字を持たなかったために民族の歴史を再構成するには非常に難しいのです。インカ帝国についてある程度確かな歴史記述はスペイン人が南米大陸に進行して行った1520年以降になります。それはスペイン人の中で「クロニスタ」と呼ばれる年代記録者による文字による記録が残っているからです。クロニスタにはいろんな経歴の人がいたようですが、その中にはカソリックの神父、スペイン人の軍人、又はスペイン人とインカの貴族との間に生まれた混血児(メスティーソ)などがいました。
彼らは布教活動をしながら先住民の言い伝えや遺跡からの発掘に基づいた記述を記したり
インカの生活習慣などを記述しています。
このような限られた記述の中で最も関心か高いのはインカの時の皇帝に関することです。
インカの皇帝に触れずしてインカ帝国を話すことは無意味なことです。
インカ帝国の始まりは冒頭に西暦1200年頃であろうと書きました。日本の歴史で言うと鎌倉幕府か開かれて(1192年)、幕府の体制が整い安定してきた頃でしょうか。
インカ帝国の初代皇帝の名前は【マンコ・カパック】と言う人です。マンコ・カパックとはインカ帝国の公用語として使われたケチュア語で「最高にして権力を持った族長」と言う意味があります。インカ帝国の皇帝は初代のマンコ・カパックから13代『アタワルパ』までですが、スペイン人がアンデスに侵攻した時にインカ帝国の都だったクスコには
二代目の皇帝「シンチ・ロカ」から十一代の皇帝『ワイナ・カパック』までの皇帝のミイラが保存されていただけで、初代皇帝である【マンコ・カパック】のミイラはついに発見されませんでした。
はたしてインカ帝国の初代【マンコ・カパック】は実際に存在した皇帝なのかどうか?
インカ帝国の初代【マンコ・カパック】については二つの伝説が残っています。

その一つ、クスコから東南に向かって28キロほど離れた所に、パカリ・タンプ(下の宿場)と言う場所があって、そこにはタンプ・トヨ(窓の宿場)と言われる3つの穴が地面にあいている処があり、その中央の美しい穴からインカ帝国の創始者たちが沸き上がったそうです。中央の穴から現れた者がマンコ・カパックと3人の兄弟だった。マンコ・カパックは同じ穴から湧き出した10名の士族を引き従えてクスコの河谷に向かいます。
旅は数年かかり途中、村々に1,2年とどまり二代目の皇帝シンチ・ロカがマンコ・カパックの一番年上の妹ママ・オクヨの間に生まれます。
マンコ・カパック一族はクスコの河谷を歩き、黄金の杖で土地を試してみると、現在クスコの少々東の方が肥沃であることを知り、そこに腰を落ち着けることにしました。
しかし、当時谷間にはすでに多くの住民たちがいましたが、インカは太陽によって選ばれた民であり、トウモロコシと動物のリャマの為に土地が欲しかったので、先に住んでいた住民や部族から何度となく攻撃を受けたが、その都度、投石器で人を殺し怪我を負わせたりしたので、周囲の住民たちは恐れをなして逃げてしまった。そこでマンコ・カパックと士族たちは黄金の囲い(コリカンチャ)に、最初の宮殿を建てることにしました。
後々「太陽の神殿(コリカンチャ)」がそこに建てられた。今でもクスコとマチュピチュには同じ囲いを持つコリカンチャのアドべ(日干し煉瓦)を円錐状に積み重ねた遺稿が残っており見ることが出来ます。
もう一つのマンコ・カパック伝説については次回(数日後)に書きます。
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by yamasaki0903 | 2018-02-27 11:08 | HP.ブログの読者のページ | Comments(0)