①演奏グループ「インカニャン」の名前の由来について

現在日本に招聘している演奏グループは、ご存じ『INKANAN(インカニャン)』です。
以前から「インカニャン」とはどういう意味なんですか?との質問(問いかけ)に接することが多く、その都度次のような説明をしています。「インカ帝国を創りあげた(ケチュア族の言葉)で【インカ道】と言う意味から名付けたグループ名です」と。ほとんどの方がこの短い説明で理解をして頂いていますが、本来はもっと深く掘り下げて説明をしなければ本当の意味は理解していただけないだろうと思っています。
そもそも①【インカ】とは何なのか?インカの名前はどこから出てきた言葉なのか? 
②「ケチュア族」と言う人たちはどのような人たちなのか?
 この二つの言葉だけでも関連する知識を持っていただければ「インカニャン」の意味をより深く理解していただけるのではないかと思います。
私が50年来積み上げてきた知識(文献やアンデスでの聞き取り、会話、体験、実際に見てきた事、経験、そして私なりに感じ取った私見)の範疇で話を進めて行きます。

『INKANAN(インカニャン)』は二つの固有名詞から成り立っています。その一つは「INKA(インカ)」で、もう一つは「NAN(ニャン)」と言う言葉です。
(インカ)とは、この言葉には不思議な魅力があり世界中の人たちから常に関心を持たれる言葉だけに様々な意味が含まれています。もともとは現在のアンデス山中標高3300mの高地にあるCUSCO(クスコ)に住んでいた小さな部族の中の一つの名称で、この部族が幾たびの争いによって領土を広げて行き、後に南米で最も強大な帝国へと建設されていきます。領土を拡大していく過程でインカと同じ言語を使っていた他の部族の人たちもすべて含めて「インカ」と呼ぶようになっていきます。
ところが1520年代になってスペイン人が侵攻して来ると「インカ」の意味をさらに拡大して帝国そのものをインカと呼ぶようになったり、又はスペイン的でないものすべてを「インカ」と呼ぶようになり区別化、差別化をして行くのです。(ヨーロッパの古い慣習ではよくある事)
ただし、かってクスコの小さな部族の中の一つに過ぎなかったころに使っていたインカの言葉は、インカ帝国として強大になった15,16世紀に公用語として使われるようになったインカ語とはいくらか違った言葉になっていました。小さなインカ族が暮らしていたクスコの古い地名は拡大したインカ帝国の言葉(公用語)からは解釈理解することが出来ず、むしろチチカカ湖以南、ボリビアに多く住む先住民のアイマラ族の話す言葉(アイマラ語)に近いと言われています。
因みにアイマラ族と対比されるケチュア族の話す言葉(ケチュア語)は、インカ帝国の拡大に伴い、その地域に住む先住民が話していた言葉(ケチュア語)が次第に公用語のインカ語として使われるようになっていったと思われます。
クスコの一部族に過ぎなかったインカ族が大帝国を創りあげていく過程で、蜘蛛の巣状に情報の伝達手段として道をたくさん建設していくのですが、この道はあくまでも「公道」としての意味を持っていたために一般の住民たちは使用することを許されていませんでした。インカ帝国の成長(拡大)と共に作り上げて行ったこの公道
が『NAN(ニャン)』と呼ばれる言葉なのです。インカ族がインカ帝国として拡大していくのと同時に公道がたくさん造られていき、いつしか「インカニャン」(インカ道)として重要な意味を持ってくるのです。
しかし、(インカ道)「INKANAN・インカニャン」としての呼び方は、帝国へと成長していく初期の段階では「インカニャン」とは呼ばれていなかったことも解っています。
それでは次回、初期の「インカニャン」はどのように呼ばれていたのかを説明したいと思います。
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by yamasaki0903 | 2018-02-24 12:10 | HP.ブログの読者のページ | Comments(1)

Commented by delta1akira at 2018-10-12 10:23
インカニャンのライブを見てきました。イオン下妻店です。感動しました!