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「被爆柿の木」・「4校目の学校建設」について (続き)

被爆柿の木の植樹活動を通じて、三度核兵器による平和の破壊を許さないという強い信念で地道な活動をされている樹木医、海老沼正幸氏の活動は日本国内にとどまらず、多くの国で植樹をされながら平和を訴えています。現在、イタリア、ポルトガルへ渡航中にて、今回も28本の被爆柿の木の植樹を行いました。
小学校、中学校、専門学校、大学、パブリック公園など、依頼は様々な所から植樹の要望があり、その中から28本の被爆柿の木を今回は植樹されました。
海外での数多くの植樹活動を経験されている海老沼さんの賛同を戴き、現在まで植樹をされていない南米大陸のアンデス地方にこれから被爆柿の木の植樹を実現しようと言う事でプロジェクトを組むことになったのです。2018年5月以降、4校目の学校県建設・寄贈へ向かって動き始めたアンデスの風支援基金と一緒になってプロジェクトを推進して参ります。
被爆柿の木の植樹に当たっては幾つかの生育条件をクリアすることが求められたり、管理面でのリスクなど、越えなければならない諸条件がありますが、このような難しい要件をこれから一年かけてクリアーして4校目の学校建設・寄贈と同時に実現していく事にしています。
無慈悲な争いを避け、平和な世界の中で全世界の人々が身近な幸せを感じる世界を願ってこのプロジェクトは成功させなければなりません。
被爆地長崎から発信する連動したこのプロジェクトの持つ意味は多くの方々の賛同を得る事業だと思っています。一人でも多くの皆さんの関心と、ご協力をお願いしてまいります。 (完)
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by yamasaki0903 | 2017-03-30 18:10 | アンデスの風支援基金のページ | Comments(0)  

2017年度 新作CDについて お知らせ

2017年度、来日予定の「インカニャン」による新作CDについてお知らせいたします。
今年の来日記念アルバム 
               CD、メインタイトル
              【EL DESEO POR LA PAS】(平和への願い)
                    INKANAN
             副題 「FELIZ FAMILIAZAD・身近な幸せをあなたに」

上記タイトルの2017年度版CDアルバムの制作は、現在録音の最終段階を迎えています。
これまでインカニャンのCDアルバムで培ってきた実績と演奏、録音技術をいかんなく発揮して、日本の皆さんに心地よく聴いて頂けるような音作りで仕上げの段階に入ってます。
あと数日で現地での最終マスタリングを終えてアンデスの風に発送されます。

昨年、一昨年よりも仕上がり工程はかなり早くなっており、パッケージデザインとのすり合わせや調整を行いゴールデンウイーク明けには印刷プレスに出せるのではないかと思っています。

今年のCDアルバムのパッケージデザインは数年前、CDアルバム「アンデスの空の下」を増刷した時にお願いしたデザイナーに委託をしています。アンデスの風制作によるセカンドアルバムCD「アンデスの空の下」
は初版から13年を経過した現在でも、癒しのCDとして全国の沢山の方々に非常に好評にて売れ続けている
CDです。曲の内容はもちろんの事、増刷後のパッケージデザインが、アンデス大自然と澄み渡る青い空、そして雄大なアンデス上空に誇らしく翼を広げるコンドルの線画がシンプルでいてインパクトのあるデザイン構成である事も好評にて売れ続けている要因になっています。
今年のパッケージデザインの表紙がとても楽しみです。

また、録音されている曲名については、アンデスフォルクローレの名曲のカバーバージョン、一昨年までのインカニャンの演奏履歴の中で好評を博してきた曲や、平和へのメッセージソング、そしてオリジナル曲をバランスよく組み合わせて皆さんにいつまでも楽しく聴いて頂けるように構成しています。
そのうえ、原曲の歌詞とともに日本語訳も付け加えることにしていますので、曲の持つ意味を理解していただきながら楽しんで口ずさんでもらえるようにしています。
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by yamasaki0903 | 2017-03-21 11:56 | CD・DVD に関係するページ | Comments(0)  

アートたけし展 のチケットについて

現在、長崎県美術館で開催中の「アートたけし展」のチケットプレゼントについてお知らせをいたしましたが、招待用チケットについては先着3名にてプレゼントを終了しましたのでお知らせいたします。悪しからずご了承ください。
なお、[アートたけし展」は4月16日(日)まで開催されていますので、興味ある方は長崎県美術館まで足を運んでください。
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by yamasaki0903 | 2017-03-21 11:04 | アンデスの風支援基金のページ | Comments(0)  

「被爆柿の木」とアンデス支援基金の活動「4つ目の学校建設」について【続き】

長崎市への原爆投下によって、生き物全てが一瞬にして灰塵と化し焼け野原になってしまいました。
原爆投下後70年間は草木は生えてこないだろうと言われていました。
木っ端みじんに砕かれた浦上地区を中心とした被爆の地にもわずかに生き残った草木がありました。
その中に山王神社のクスノ木であったり爆心地の近くの小学校にあった桜の木です。
また、家庭の庭先でたまたま生き残った柑橘類の木々や柿の木などもありました。
このような木々も被爆直後の数年間はあまりのダメージの大きさに実を付ける事も出来ず徐々に木の勢いも
衰えていきます。そしてついには生き物として持ちこたえることが出来ずに芯から枯れて行く木々が多くありました。
そのような中で被爆から数十年経過して再び芽を出し葉を付けて花を咲かせ、そして秋には沢山の実をつけ始めた柿の木があったのです。いつの頃からか知る人たちはこの柿の木の事を「被爆柿の木」と呼ぶようになり生きる勇気をもらうようになったのでした。
 (続く)
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by yamasaki0903 | 2017-03-20 10:31 | アンデスの風支援基金のページ | Comments(0)  

「被爆柿の木」とアンデス支援基金の活動「4校目の学校建設」について 【続き】

1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、人類史上2番目の原爆被爆地となる長崎市では、浦上地区を中心地とした市内ほとんどの地域にわたり原子爆弾の強烈な熱風が閃光と共に轟きました。
7万名以上の人々が大量殺りく兵器によって一瞬にして灰の藻屑となり、この世から命を奪われてしまったのです。長崎市に投下された原子爆弾は三菱兵器工場上空めがけて投下されましたが、皮肉にも日本におけるキリスト教の聖地である浦上天主堂の上空で炸裂することになるのです。
同じキリスト教徒であるアメリカ人が、日本のキリスト教の聖地、浦上の丘に原子爆弾を落としてしまったのです。
日本におけるキリスト教の歴史は戦国時代にフランシスコ・ザビエルが種子島に漂着し鉄砲を紹介し、その後織田信長に謁見した時から布教活動が始まります。その後豊臣秀吉の時代になり禁教令が発布されキリスト教を信仰することが禁止されます。徳川家康が天下を統一し江戸幕府が体制を強化する過程においてキリスト教の弾圧はより厳しいものとなっていくわけですが、にも拘らず信仰を守り続ける人たちは身を賭して教えを守ろうとします。270年間続く徳川幕府の時代に在っては、4回に亘る大掛かりなキリスト教狩りで棄教する者、殉教した敬けんな信者がたくさんいました。このような弾圧を受けながらも教えを守り続けた人たちが浦上地区には根を張って生き続けていたのです。
長く続いた幕藩体制が終わり時代は明治へと移っていきます。新しい日本の夜明けとともに禁教令は解かれ
長崎市南部にある外国人居留地大浦地区にフランス人による教会が建立されます。これが大浦天主堂です。密かにキリスト教の教えを守り続けてきた浦上地区の隠れキリシタンがフランス寺(大浦天主堂)に出会い、神父にキリスト教徒であることを告げることで日本におけるキリスト教が復活していくのです。
明治、大正、昭和と日本におけるキリスト教は長崎県下(五島列島、平戸、生月島)はじめ熊本県(天草地方)
大分県、山口県から全国に信者を広げていきます。
ところが、冒頭に書いたように、1945年8月9日11時2分、日本におけるキリスト教の聖地、浦上の丘上空
に同じキリスト教徒であるアメリカ人によって原子爆弾という強烈な非人道兵器により一瞬にして町は焼かれ、教会、そして浦上の信者はほとんど亡くなってしまうのです。
徳川幕府以降4度に亘る大きなキリスト教徒刈りで崩れてしまった浦上の丘で、5度目のキリスト教徒刈りが原子爆弾という形で行われてしまったのです。これを「浦上5番崩れ」と呼ぶ人もいます。

(続く)
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by yamasaki0903 | 2017-03-18 11:57 | アンデスの風からの最新情報 | Comments(0)  

アートたけし展のご案内

ビートたけしのアートが100点  
「アートたけし展」についてご案内します。
2017年3月10日(金)~4月16日(日)
長崎県美術館 県民ギャラリー 開場時間10:00~18:00(最終入場は17:30まで)
主催=長崎新聞社 ncc長崎文化放送 長崎県美術館 共済=アートたけし展実行委員会

歴史に残るギャグコマネチでお茶の間を賑わせ、ある時はたけし軍団を引き連れ、そしてある時は鋭い切り口で時評を語る漫才師 ビートたけし。お笑いにとどまらず俳優としても活躍し、1989年には北野武として映画監督デビュー、ベネチア国際映画祭での金獅子賞やフランスの芸術文化勲章コマンドールを受賞して世界のキタノと称されるビートたけしがアートに挑戦します。版画、絵画、コラージュ作品約100点を初公開します。童心にかえり、思わず笑ってしまいそうになるユーモアにあふれる作品をお楽しみください。(文、案内チラシより抜粋)
ncc長崎文化放送、社会貢献活動 チャイルド21スペシャルキャンペーンでお世話になっているnccからの
お誘いです。
招待券3枚に限りアンデスの風経由にてプレゼントいたします。(電話にてokです)先着順にて終了します。
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by yamasaki0903 | 2017-03-10 06:38 | アンデスの風からの最新情報 | Comments(0)  

「被爆柿の木」・「4校目の学校建設」 について

アンデスの風、HP,BRGにいつもアクセス戴きありがとうございます。
「被爆柿の木」の植樹活動を通じて世界平和、原爆許すまじの活動をされている人たちの事を皆さんご存知でしょうか。広島、長崎に居住されている人たちはお聞きになった方が多いかと思います。

昭和20年8月9日、長崎市浦上上空に投下された1発の原子爆弾で一瞬にして7万人以上の方々がなくなりました。その後70年間に直接被爆者の方で亡くなられた人が7万人以上いらっしゃいます。
これまでに15万名以上の方が一発の原子爆弾のために命を落としています。
広島にあっては長崎の倍以上の方がなくなっています。

原子爆弾で被害を受けたのは人間だけではありません。すべての生き物が原爆投下によって焼け死んだり
被爆の影響を受けながらも何とか生き延びてきました。このような中で原爆投下中心地から1kmも離れていないところにあった1本の柿木も原爆によって大きなダメージを受けましたが、かろうじて生き残りました。
原爆投下後長い間この柿木は実を付けることがなく、毎年少しずつ木の勢いがなくなっていましたが、持ち主の献身的な施しと樹木医の方の施しで勢いを取り戻し、再び秋には沢山の柿の実を着ける様になって甦ったそうです。それ以降この柿の実が付ける柿の種を畑に植えて、数年間かけて苗を育て、この苗を日本はじめ世界の各都市に植樹を行い、平和を訴え原爆廃止の活動を続けている方がいます。

樹木医の海老沼正幸さんです。海老沼さんは長崎市内にある山王神社の片足鳥居の山門に植えてある樹齢百数十年にもなるクスノ木を蘇らせた樹木医として有名な方です。近年歌手福山雅治の「クスノキ」で有名になったあのクスノ木です。
また、被爆によって学童と先生のほとんどが即死した原爆中心地から西へ500m行った所にある城山小学校の「嘉代子桜」を蘇らせた方としても知られています。この桜は原爆投下時に学童動員として学校の外で仕事をしていて被爆し、その後亡くなった林嘉代子さんをしのんで植えられた桜の木でしたが、風雨にさらされて枯れかかっていたこの木を海老沼さんの力で蘇らせたことで有名になった桜の木です。

樹木医、海老沼さんは、3月中旬からイタリア、ポルトガルに「被爆柿の木2世」の植樹で渡航されます。

海老沼さんには数年来、アンデスの風の支援活動とインカニャンの音楽活動に家族の皆さんで強い関心を持っていただいています。昨年からは特に支援活動についての情報交換を密に行ってきました。
2018年5月に照準を置いて、私にとって4校目になる南米アンデス高地への学校建設に歩調を合わせていただき、中南米では初めてになる「被爆柿の木2世」の植樹を同時に行おうという企画を作って頂きました。

21世紀を担う子供たちのへの教育環境整備支援活動と、非人道的な被爆2世の遺伝子を引き継いでいる被爆柿の木の植樹活動を同時に行う事で、平和の尊さを唯一の被爆国から訴えて行こうというものです。
既に、この活動の合体については数社のメディアの関心となり、先月から大まかな情報の提供と今後の取材等の進め方について交渉を行っています。
樹木医、海老沼さんが4月上旬にヨーロッパから帰国されるのを待って徐々に具体的なことが決定されていくと思います。
アンデスの風のブログにおいてもアクセス戴いている皆さんには、一般の方よりも早く情報を流していきたいと思っています。
昨年まで以上に4校目の学校建設については皆さんと一緒に実現へ向けて活動を進めて行けたらとてもありがたく嬉しいです。ご協力ご支援をお願い申し上げます。


(続く)
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by yamasaki0903 | 2017-03-07 17:31 | アンデスの風支援基金のページ | Comments(0)  

学校法人 向陽学園理事長 烏山英也氏 死去について

学校法人向陽学園理事長、烏山英也氏が2月23日死去されました。
享年79歳の見事な人生でした。
これまで幾度となく病魔に襲われ体の自由をほぼ奪われた状況の中でも持ち前の強靭な精神力とポジティブな人生観で常に人に優しく笑顔を絶やさず学園発展のため頑張ってこられました。私の高校の大先輩でもあり、弁護士を目指して中央大学法学部へ現役で合格され卒業されましたが卒業後お母様が理事長をされていた学園の助教諭の職に就かれ数年間の教鞭の後、昭和57年4月より後を継がれて理事長に就任されました。長きに亘り長崎県内の私立学校はもとより全国私立学校の発展にも寄与された大事な存在の方でした。
告別式で初めて分かったことですが、35年前私が社会人になりたての頃、東京で仕事をしている時に高校の先輩で駆け出しの弁護士との出会いがあり、とても親切にしていただいた方がいます。この弁護士の方と烏山理事長は高校の同級生で二人とも弁護士になるために中央大学法学部へ進学されて以来ずっと親交を温めて来られたとのことでした。
思わぬ所で繋がっていたことに改めて人と人とのつながりの不思議さを感じています。
面会のアポをいただき訪問した時はいつもにこやかな表情で理事長室に迎へ入れてもらいました。「演奏グループのインカインカニャンはいつ来るの」「今年は高校でコンサートをしましょう」「来年は新しい学科と学院の新設で大々的に記念行事をするから予定してくださいね.」毎日、ひっきりなしに来校する訪問客と面会をこなされ、体が不自由な人とは思われないほど精力的に対応されていました。
時には「山崎君、来週夕方から長崎市内に行くから夜食事をしましょう」とか「イタリア料理店で予約を取っておくから昼過ぎに来てください」など、何度も食事に誘っていただきました。西洋音楽がとても好きな理事長先生で、海外の民族音楽にも造詣が深くフォルクローレにもとても関心を寄せていただきました。
かけがえのないとても大事な尊敬する方を失いショクを隠せません。
この数年私にとってとても大事な人生の先輩を亡くしています。
とても辛いです。
立ち直るきっかけを早く見つけなければいけません。
烏山理事長先生安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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by yamasaki0903 | 2017-03-03 13:56 | アンデスの風からの最新情報 | Comments(0)