BUSCANDO FELICIDAD【幸せを求めて】・En el mundo oscilante(揺れ動く世界の中で)

「被爆柿の木」とアンデス支援基金の活動「4校目の学校建設」について 【続き】

アンデスの風からの最新情報
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1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、人類史上2番目の原爆被爆地となる長崎市では、浦上地区を中心地とした市内ほとんどの地域にわたり原子爆弾の強烈な熱風が閃光と共に轟きました。 7万名以上の人々が大量殺りく兵器によって一瞬にして灰の藻屑となり、この世から命を奪われてしまったのです。長崎市に投下された原子爆弾は三菱兵器工場上空めがけて投下されましたが、皮肉にも日本におけるキリスト教の聖地である浦上天主堂の上空で炸裂することになるのです。 同じキリスト教徒であるアメリカ人が、日本のキリスト教の聖地、浦上の丘に原子爆弾を落としてしまったのです。 日本におけるキリスト教の歴史は戦国時代にフランシスコ・ザビエルが種子島に漂着し鉄砲を紹介し、その後織田信長に謁見した時から布教活動が始まります。その後豊臣秀吉の時代になり禁教令が発布されキリスト教を信仰することが禁止されます。徳川家康が天下を統一し江戸幕府が体制を強化する過程においてキリスト教の弾圧はより厳しいものとなっていくわけですが、にも拘らず信仰を守り続ける人たちは身を賭して教えを守ろうとします。270年間続く徳川幕府の時代に在っては、4回に亘る大掛かりなキリスト教狩りで棄教する者、殉教した敬けんな信者がたくさんいました。このような弾圧を受けながらも教えを守り続けた人たちが浦上地区には根を張って生き続けていたのです。 長く続いた幕藩体制が終わり時代は明治へと移っていきます。新しい日本の夜明けとともに禁教令は解かれ 長崎市南部にある外国人居留地大浦地区にフランス人による教会が建立されます。これが大浦天主堂です。密かにキリスト教の教えを守り続けてきた浦上地区の隠れキリシタンがフランス寺(大浦天主堂)に出会い、神父にキリスト教徒であることを告げることで日本におけるキリスト教が復活していくのです。 明治、大正、昭和と日本におけるキリスト教は長崎県下(五島列島、平戸、生月島)はじめ熊本県(天草地方) 大分県、山口県から全国に信者を広げていきます。 ところが、冒頭に書いたように、1945年8月9日11時2分、日本におけるキリスト教の聖地、浦上の丘上空 に同じキリスト教徒であるアメリカ人によって原子爆弾という強烈な非人道兵器により一瞬にして町は焼かれ、教会、そして浦上の信者はほとんど亡くなってしまうのです。 徳川幕府以降4度に亘る大きなキリスト教徒刈りで崩れてしまった浦上の丘で、5度目のキリスト教徒刈りが原子爆弾という形で行われてしまったのです。これを「浦上5番崩れ」と呼ぶ人もいます。 (続く)
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