「被爆柿の木」とアンデス支援基金の活動「4つ目の学校建設」について【続き】

長崎市への原爆投下によって、生き物全てが一瞬にして灰塵と化し焼け野原になってしまいました。
原爆投下後70年間は草木は生えてこないだろうと言われていました。
木っ端みじんに砕かれた浦上地区を中心とした被爆の地にもわずかに生き残った草木がありました。
その中に山王神社のクスノ木であったり爆心地の近くの小学校にあった桜の木です。
また、家庭の庭先でたまたま生き残った柑橘類の木々や柿の木などもありました。
このような木々も被爆直後の数年間はあまりのダメージの大きさに実を付ける事も出来ず徐々に木の勢いも
衰えていきます。そしてついには生き物として持ちこたえることが出来ずに芯から枯れて行く木々が多くありました。
そのような中で被爆から数十年経過して再び芽を出し葉を付けて花を咲かせ、そして秋には沢山の実をつけ始めた柿の木があったのです。いつの頃からか知る人たちはこの柿の木の事を「被爆柿の木」と呼ぶようになり生きる勇気をもらうようになったのでした。
 (続く)
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by yamasaki0903 | 2017-03-20 10:31 | アンデスの風支援基金のページ | Comments(0)  

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